選考委員長挨拶

Japanese→English

BCA/MBLA
選考委員長挨拶

シカゴ大学 教授 山本 尚
MBLA:日本のライジング・スターの世界への発信
シカゴ大学 教授 山本 尚
米国では30代前半の助教授の候補者や、その数年後の年代を対象とするテニュアーの准教授の候補者は早いうちから、教授たちの秋の話題になり、半年後には全米のその年代の有望新人の名前が、数名くらいにしぼられてゆきます。このプロセスを通して、将来の米国の化学を背負ってゆくのが誰かと、様々な議論が、コンファレンスのロビー、大学のファカリティー・クラブのテーブル、電話で飛び交うのです。そして、いつの間にかリストは精選されたものとなり、そして、数年間はその人たちの成長を半ば応援し、半ば冷静な目で見守ります。当事者の彼らも、注目されていることを十二分に意識しているし、その後の数年間に人生を賭ける強烈な努力を惜しむことはありません。

もちろんすべての人たちが10年後に成功するとは限らないし、むしろ話題からいつしか消えてゆく人がほとんどです。しかし、アメリカの凄さは、そうしたライジング・スターが、必ず現れてくる懐の深さでしょう。

不思議なことに、こうした話題に付きまとう陰湿なにおいはほとんどないし、びっくりするくらい、あっけらかんとしているのも、アメリカの別の一面です。ライジング・スターたちはビジブルになることで、自分を律し、また、従来の化学の概念を覆すことを目指し、真にオリジナルなコンセプトを開こうと努力します。面白いことに、こうした人たちは、礼儀ただしさと、自信満々との不思議な調和を持っているのです。

私は鼻持ちならない位の自信満々な若い人たちが、どんどん登場してくるこの不思議な仕組みが比較的気に入っています。少し意地悪なことを言えば、そのうちのほとんどの人たちはいつしかこのレースから脱落してゆくし、一度成功しても、その後よい成果が出ない場合には、比較的あっさりと見放されてゆくのも、アメリカらしいと言えるでしょう。しかし、一握りではあっても、本当の成功者がこのプロセスから現れ、革新のコンセプトが生み出され、次世代の化学を開く人たちがこの過程で数年後毎に登場してくるのです。

「今光っている日本の若手は、また素晴らしいと注目されているのは誰?」といつもアメリカの友人に聞かれます。もちろん論文を見ていると、大まかなところは判断できるものの、普通は論文の著者が多すぎて、一体誰がメイン・プレヤーかが解り辛いことが多いのです。講演を聴けばだいたいは理解できるものの、日本の若手にはその機会も比較的少ない。しかし、日本の若手の研究者はアメリカの若手研究者ほどビジブルではないにしても、私の知る限り独創的な研究を展開している人が多くいます。万有のMBLAはこうした日本のライジング・スター達にスポットライトを与えるものです。このレクチャーシップに選ばれると、アメリカの主要大学を講演するだけでなく、十分ではないにしても、欧米でビジブルになります。生涯の友人もできます。これまでのMBLA受賞者はいずれもわが国を代表する素晴らしい化学者が選ばれたし、受賞後もその賞にふさわしい独創的な研究を展開されているのです。

最初に鈴木國夫さんとMBLAの相談したのは、もうずいぶん昔になります。正直なところ、これほどうまく行くとは期待していませんでした。鈴木氏の強烈なエネルギー、万有製薬株式会社および、その後の万有財団と、メルクのプロセス研究所の深い理解と、有償、無償の支援が成功の背景にはあったのはもちろんですが、先生方の厳正な審査も成功の鍵だったのです。

有機化学の若手研究者を対象とした国際賞にはThime賞をはじめとして、いくつかの賞がありますが、いずれもかなり厳格な年齢制限があり、わが国の研究者には非常に不利といえます。つまり受賞の対象となるころには、すでに年齢の制限を越えている人が多いのです。これまで、アメリカやヨーロッパの若手研究者がこうした賞を攫ってゆくのを見て、歯噛みしたことが何度あったでしょうか。今後はMBLAの受賞達がこうした賞をどんどんと取ってゆくのを夢見ています。欧米のビジブルなライジング・スターに肩を並べてほしい。これこそがこの賞の目的であるからです。そして、この人たちの中から、何年か後にはノーベル賞受賞者が輩出することを信じています。(2009年12月)