留学体験記

  • 宮城県立がんセンター 乳腺外科 疫学、腫瘍外科学
  • 河合 賢朗
  • 留 学 先:Fred Hutchinson Cancer Research Center, Division of Public Health Sciences, Seattle, WA, USA
  • 留学期間:2012年12月~2014年3月(1年4か月間)
【留学を決めた理由】
 大学院で学位取得後、まったく異なる分野である疫学研究に関わらせて頂き、とても面白くて、かつ結果を出すことが出来ました。海外の文献を読んでいるうちに、自分もその本場に行って勉強してみたいと思っておりました。

 自分がやりたい研究をやっていて論文が多数出ている世界のいくつかの施設に履歴書を送ってみました。今考えれば推薦者も無く応募したのですからかなり無茶だったと思います。一施設から「自己資金があるなら来てもよい」との連絡を頂きました。留学経験のある周囲の方々に相談したところ、行くのは良い事だが自分の貯金では行ってはいけない(生活が苦しくてせっかくの留学が楽しくなくなる。日本人はお金持ちだから給料を与えなくても来る、との誤解を生じる)と言われました。年齢も35歳を過ぎており、年齢制限に引っかかる奨学金が多くなっていたため、最後のチャンスと思い当留学プログラムに応募させて頂き、運よく2年分を頂く事が出来ましたので、2年で結果を出して帰ろうと決めて留学をいたしました。

【留学して良かったこと】
 時間にゆとりのある生活の中で、家族との時間を持てたこと、また原著論文を書くことができたことです。日本人との共同研究は行ったことがある一方、研究室に日本人を受け入れたことがないボスだったので、戸惑うこともありました。一方誰も伝手のない中へ飛び込んでいき結果を出したことに対しては評価して頂きました。平日も18時になれば皆帰ってしまいます。土日もほぼ誰もいません。留学当初は日本の生活から抜けられず、夜遅くいたり、土日に職場に行ったりしたのですが、上司から「仕事も大事だが、家族との時間を大事にしなさい」と言われ、考えを少しずつ改めるようになりました。

【留学して苦しかったこと】
 ちょっとしたことを伝える英語力がありませんでした。また、留学先のボスは日本人を受け入れたことが無い為、当初は少し距離感がつかみづらかったことがあります。また、助成金を頂いた以上、必ず結果としての原著論文を出して帰りたかったために、最初の一本が出るまでは辛かったです。

 あとは日本食が恋しかったことです。ワシントン州にもすし、ラーメンはあり、海に近い事からも食糧事情は他の地域に比べて非常に良好だと思いますが、日本で食べるものには全く敵わないと思います。帰国した今でもそう思います。

【留学を通して学んだこと】
 研究室によって違いはあると思いますが、米国では自分がこうしたいという明確な意思とビジョンを持っていないと誰も助けてくれないかもしれません。上から言われた命令を聞いていればいいという考えは捨てたほうがいいかと思いました。また日本のように朝から晩まで、また休日返上で仕事をしているわけではありませんが、やはり論文数は多いです。日本では皆がなかなか帰らない、土日も勉強会等で返上する等、多忙だと思います。そのような環境で更に業績を出すのは難しいかもしれません。しかし、中には惰性でやっている事、やめてしまってもいい事も多数あると思います。そのようなことを止めたらいいのではないか?と発言することは勇気がいることだと思いますが、留学体験者から積極的に発言していくことは大事だと思っております。

 帰国が決定してから米国のボスから聞いた話なのですが、ポスドクからスタッフになれるのは100人中1人程度、年に筆頭著者として数本かける程度では到底残るのは無理であること、殆どの人はポスドクから這い上がれない為、他の施設に行くかほかの職を探すしかないなど、熾烈な争いをしていることを聞きました。

【後輩達へのメッセージ】
 日本は種々の問題を抱えておりますが、本当に治安が良く居心地の良い国です。また非常にハイレベルの研究施設も多く、単に業績だけと考えると行く理由はないかもしれません。そこであえて海外に出る理由は、実体験をするという事だと思います。現代ではネットにいろいろな現地の情報がリアルタイムにアップされておりますし、また先輩の口コミや、紀行文等で情報や手に入れやすいと思います。

 しかしながら、勉強しただけでは何もできないのと同様、現実の体験は全く異なります。是非恐れずに挑戦して、世界の色々な国々の人とディスカッションをし、身をもって体験してきて成果を出してきてください。